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生まれて初めて書き込みをしています。
私はアマチュア・ホルン吹きでワセオケのOBで名乗るほどの者ではありません。
田中先生のご訃報を弾正さんのHPで遅ればせながら知りました。
HPを知ったのもほんの偶然が3つ重なったからなのです。
この偶然は意味があると感じましたので、こうして書き込みしています。
私がワセオケに在籍していたのは、81年4月〜85年3月。
83年の夏合宿に田中先生に来ていただいたのでした。
ホルンのメンバーひとりずつ丹念に見ていただきました。
私はマウスピースの当てる位置を根本から治されました。
私の口元をじっと睨みながら、右手で非常に慎重にそっと位置を変えて当ててくださり
「これで吹いてご覧。」とおっしゃってくださいました。あの間近での視線は今も脳裏に
焼きついております。即座にこれが正しい吹き方なんだと身体が理解し、その後変えておりません。
もしあの時治されなかったらと思うとゾッとします。
もしかしたら今吹いていないのではないかと本当に思うのです。
ですから私にとって、田中先生は命の恩人とも言える方なのです。
当時は九州演奏旅行に先立つ秋の定演に向け、チャイ4の練習をしておりました。
私は3番を担当していました。第1楽章のコーダの3番のソロ(F音のタ〜ッ、タタタタッタ)
のお手本を吹いてくださいました。もうあの時はみんな腰が抜けました・・・。
物凄い音と迫力でした。あのあとそこを吹くのがどんなにプレッシャーになったか・・・。
定演と九州演奏旅行で何度も本番を経験して、その度に耳にこびりついた先生の音に挑んでは敗れるというほろ苦い思い出です。以来どのオケを聴いても先生と比較してしまいますが
あんな強烈な印象を受けたことはいまだにありませんね。
九州旅行では千葉馨先生に共演(モーツァルト第3番)していただくという夢のような体験もありました。
当時最高のホルン奏者お二人にアマの身で直に接した得がたい体験でした。
そのお二人が相次いで亡くなるとは・・・。
田舎の市民オケでホルンを続けられているのも田中先生のおかげです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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