|
|
「日本語はリズムに乗りにくい」というところに違和感があるなぁ。本多勝一が『日本語の作文技術』で、「日本語は非論理的な言語である」という清水幾太郎の意見に対して「言語とは、その民族の論理である」「非論理的な言語というものはない」と反論した顰に倣って言えば、「日本語にも独自のリズムがある」ということではないか? それを西洋音楽などのリズムに合わせようとするから、「日本語はリズムに乗りにくい」のではないか? 別に『魁!男塾』の登場人物のように「日本人は盆踊りよ!」などと言うつもりはない。しかし日本語のシュプレヒコールに合ったリズムというものはある筈であり、その意味では従来の旧態依然とも言えるシュプレヒコールのそれが一番合っているように思う。
ここで明言しておくけれども、いわゆる「ラップ」のリズムでコールするのは私は違和感がある、どころではない、はっきり言って嫌いである。何故なら「ラップ」のせわしないリズムに合わせると身体全体で発声できないため、咽喉に負担をかけ、痛めるおそれがあるからである。とみた君が私の声のことを「すっげぇ大声」と書いていたが、それは咽喉だけではなく、身体全体で、かつゆっくりと声を出すからで、「ラップ」のせわしないリズムに合わせたコールでは、あの声は出せない。これは経験済み。野球の投手で言えば、通常のシュプレヒコールがワインドアップのモーションによる投球、「ラップ」のリズムに乗せたコールは、ワインドアップよりも球威の落ちるセットポジションやクイックモーションによる投球にあたると言ってよいかもしれない。閑話休題。大きな声で自分たちの主張、そして怒りを表現し、沿道の人たちに伝えようと思ったら、はっきり言って「ラップ」のリズムではダメなのである。いわゆる旧態依然たるシュプレヒコールの方が良いと私が考える所以である。古臭いものの中に、時を経た故の合理性があったりする。つまり温故知新である。旧態依然たるシュプレヒコールにも、時を経た合理性とでも言うべきものがあるのではないだろうか? 「サウンド・デモ」については、参加したことがないので判断は出来ない。ただ「シュプレヒコールはダメ!」というような硬直した、そして現状への不満や批判、怒りを表現することを嫌う人たちが行なう「大人しい」デモよりは、はるかに好意的ではある。
シュプレヒコールで批判されなければならないのは、やはりその内容である。例えば1998年、天皇明仁即位10周年抗議デモで、出発地点が社会文化会館だったので主催者は社民党だったと思うが、「自衛隊の海外派兵(憲法改悪?)より戦後補償が先だ!」というシュプレヒコールがあった。それに対して、反天皇制運動連絡会の天野恵一さんが、「おい伊達、戦後補償をやったら自衛隊の海外派兵(憲法改悪?)はやっていいのか?」と突っ込んできた。他にも2003年2月に広島で行なわれたイラク戦争反対デモで「国民を戦争に巻き込むな!」というシュプレヒコールがあったので、私は「国民でなくても戦争に巻き込むな!」と叫んでやった。このようにシュプレヒコールそのものの是非ではなく、主張している中身こそが問題とされるべきではないだろうか? あるいは無意味にやたらと長いシュプレヒコールも問題だろう。
ところで『WPN実行委の「古い」という言い分に対し、「ああ、オレもそう思うよ」と、あえて国会周辺の平日昼の労組の行動をあげたら、「うーん」という反応だったw』というのは、WPN実行委の人たちが、「平日昼の労組のあげるシュプレヒコールは批判しないけれども、『その他』『有象無象』のあげるシュプレヒコールは批判する」というダブルスタンダード(二重基準)、権威主義に陥っていることを言っているのかな?>とみた君
また最近、私は、「8・6中国電力前座り込み」の時など年に2〜3回しかシュプレヒコールをあげる機会がない。そもそもシュプレヒコールをあげないようなデモには参加するつもりはないし、広島の悪質な自称「市民運動」の行動にも参加する気は無くなった。それでも生きていますよ。別にシュプレヒコールをあげないのは拷問でも何でもなくてさ(苦笑)。広島カープやサンフレッチェ広島の試合で声援をあげるなどシュプレヒコール以外に私の大きな声の使い道はいくらでもある(苦笑)。また人生の楽しみもシュプレヒコール以外にたくさんあるということさね(苦笑)。
という訳で『運動』に一般の人たちが参加しないのは、仕事や暮らしで忙しいこともあるだろうし、権力側の情報や価値観の操作などのヘゲモニー支配、弾圧もあるのだろうが、一般の人たちの生活実感から遠いところで『運動』が行なわれていること、一般の人たちに対して『運動』が閉ざされていることなどに加え、主催する人たちが現状への不満や批判、根源的な怒りを表現しないのみならず、表現するのを抑えつけようとしさえするという『運動』側の因循姑息さにも原因があるのではないかということを考えるようになった次第である。
■またまた追記
「『ラップ』のリズムではダメ」と全否定するようなことを書いたが、実際には私は、今年9月10日に広島で行なわれた反貧困キャラバンのデモでは、「ラップ」のリズムに乗せたコールの案もつくったのだった(使用はされなかったけど)。「素人の乱」の松本哉くんたちが「黙っているよな奴らじゃないぞ!」と「ラップ」のリズムに乗せてコールしていたのを真似て、「オレたちゃ(ウチらは)黙っちゃい〜ないぞ!」というようなものだったと思う。これは迎合だと言って貰っても構わない。目先を変えることも必要かなとも思ったからだ。ちょうど野球の投球術で真っ直ぐを生かすために変化球を織り交ぜるのと似たようなものである。ただデモの最初から最後まで、この「ラップ」のリズムに乗せたコールを貫徹するのは、咽喉に負担をかけるので、やはりしんどいと思った。
|
|